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私流の栄養学

重い話しなので避けて通りたかったけれど

去年あたりから、私の親しい友人はじめ「乳がん」の方が多くなってきて・・・
さらに小林真央さんが乳がんで亡くなってから、さらに乳がんという言葉を耳にします。
そんなこともあって、ふと、20年前に「乳がんの宣告を受けた」時を思い出してしまいました。

 

死を覚悟で選んだ民間療法

私が「1.2cmの乳腺癌」と宣告をされた時に頭の中に浮かんだのは

「癌宣告」→「手術」→「抗がん剤」→「退院」→「再発」→「抗がん剤」&「放射線」→「余命宣告」→「死」

 

頭の中に、くるくると映像になって浮かんでくるのです。
病院に行ったら、ベルトコンベアーに乗せられたように死に向かって一直線!!
へそ曲がりなので「がん」と共存出来ればいいのかなと思い、死を覚悟で・・・

民間療法に挑戦(一般的には化学的根拠がないと言って認められていないのですが)

娘2人は、まだ小学校・・・しかし決めたら・・・母は強し
母子家庭、お金はない・・・それで民間療法をしようとする無謀さ

 

わがままを聞いてくれた先生と手術の決断

10年後、私の癌はどうなった?
残念「癌」は手ごわい、小さくなるより少しずつ大きくなって、こぶし大に・・・出血量も多くなってきたのですが、転移せずに抑え込むことはできていたようで、無駄ではなかったかも。

 

私、生活態度変えてなかったんです、当時はお酒は飲むしタバコも・・・それで良くなったら、生活を変えて頑張って病気と闘っている方に申し訳ないですよね。
因みに、なぜか今はタバコを吸ってはいません。

そう、取りあえず、共存に成功

 

そんなある日、手術が出来るといわれて、大きく育てた癌は、乳房ごと摘出
そう、その時、リンパに転移していてもリンパの摘出はしないでと言うことと、手術後の、抗がん剤、放射線はしないということを最後の最後まで先生と話し合い

私のわがままを聞いてもらっての手術。おそらく、今はそんな先生はいないと思う・・・本当に命の恩人です。
「憎まれっ子世にはばかる」で今こうして仕事をすることが出来、孫とも合え、一緒に遊ぶことも出来てることに感謝です。

 

自分で決める…後悔はしない

私は、自分の人生、自分で決めて歩いてきて良かったと思っている。

たまたま、生きていたから言えるけれど、途中で死の宣告をされてもきっと後悔することはなかったと思っている。
なにが良かったのかわからないけれど、自分で思うことに迷わなかったことと、サプリメントなども会う合わないは体が教えてくれたような

 

「癌」と宣告されたら、焦らず一歩下がってゆっくり考える事かな、焦ると誤ったものをチョイスしかねない。長年多くのがんの友人を見ていて本当にそう思う。

私の知人の奥さんは、長年民間療法をしていて10年過ぎた頃から、大きくなったがんが少しずつ小さくなってきているそうです。でも、それまでただただ大きくなった10年間・・・良く我慢したと思います。

 

あれ! 私も同じかな?

 

でも私は手術が出来るといわれて12年後に手術しちゃいましたけれどね。

 

わたし流の栄養学

さてさて母子家庭になって、数年がたち実家の世話になることもなく、自立した生活ができ、次女のアトピーも、紆余曲折しながら落ち着いてきて・・・。

前にも書いたのですが、娘のアトピーを直そうと必死にビタミン、ミネラルなどの「分子栄養学」を勉強してきたことが、娘だけでなく、自分自身にも必要にって、さらにあちらこちらに・・・その勉強してきたことを自分なりの「自分流」にまとめて・・・20数年・・・

 

失敗しながら頑張ってきた栄養学・・・本当に色々失敗をしてきた「泣き笑い」の20数年でした。

 

学生時代は、勉強と言うとただただ嫌で逃げて遊び回っていた私が、栄養学が面白くて、あちこちの勉強会に顔を出しているうちに興味が出てきて、さらに突き進んで代替医療のまで勉強しようとは

 

自分ながら笑っちゃいます!!

色々な代替医療の先生の話を聞いて歩いているうちに、今までに出会た友人とは又違った世界が・・・

本当に不思議な世界で・・・宗教のように思ったこともありましたが、答えがない世界で、次から次へ・・・その勉強会の一つに「尿療法」が・・・
仲間と「ウーン、癌になったらやってみ見てもいいけれど今はやる気になれないね・・・。」

「ちょっと気持ち悪いよね」

本当に「癌」と宣告されたらやってみる?「やる」「やれない」話は尽きない・・・・

どうしたと思います?